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むくわれない、よ

 ウェブ経由の新聞記事に悲しくなる。熱心に勉強して研究して大学でも大学院でも研究に打ち込んで成果をあげて高い評価を受け実力を認められていたのに、実社会にも彼女が生きてきた研究の場にもそれを生かす場所が与えられずに収入を得られない。安定した暮らしを得るために、もしそれが本当に軌道に乗ればまた研究の世界に戻れるという一縷の望みもあったのかもしれないけれど、それまで積み重ねてきたものを捨てるも同然に結婚したのにうまくいかず、離婚がまとまった当日に命を絶ってしまった女性。どんなにか苦しかったことだろう。そばで様子を見てきた親御さんはどんなにかつらかったことだろう。
 今どきの世の中は要領の悪い不器用な人間は置いて行かれる社会かもしれない。分かりやすくないこと、即役に立たないこと、金にならないことをやったって、みたいな考え方をする人も少なくはないんだろう。だけど、どんな世の中だって精一杯の努力をした人は誰でもどんな形でも報われる社会であってほしい。高い評価を得られるような実績を残せるような能力を持っているならなおのこと、どんなジャンルであろうときちんと認めてしかるべき居場所が与えられるべきじゃないのか。報われないのはあまりに悲しすぎる。おりしも同じ日に日本人が発見しましたー、謎を解きました、わーとかテレビじゃ盛り上がっていたけれど。それを見つけた公的研究やら大学の助成削減とかなに考えてるんだろう。海のものとも山のものともわからないようなもの、些細な物事だって好奇心や探求心を持って調べ、作り上げた人々がいなかったら今のこの社会は成り立っていないはずだ。
 アメリカの公立大学でも助成金削減の対策に苦慮していることは先日上映されたワイズマン『大学 At Berkeley』でも描かれていたけれど、2013年の作品で今はまた当時とは状況も変わっているであろうことは想像できるとけれど、まだアメリカのほうが「知」は技術であり力であり、本当に優秀なそれら技術を身につけている人をまさに人材=「財産」として世の中に送り出し、還元させる努力が当然のように行われているように思える。どうして日本はそうならないのだろう。大学で学ぶことの意識、受け止められ方、認識のされ方の違いなのか。『大学は出たけれど』という小津の映画があったけれど、1930年ぐらいの作品だよ。それなのに。
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